アメリカ留学体験記



大昔にアメリカに留学してた時のことを。高校生の時にホームステイでフロリダに2箇月、コロラドに8箇月ほど行ってました。 旅行ではCalifornia, Utah, Arizona, New Mexico, Texas, Louisiana, Mississippi, Alabama, Georgea, South Carolina, North Carolina, Virginia, West Virginia, Maryland, Delaware, New Jersey, New York, Ohio, Indiana, Illinois, Kanzas, Nebraska, Oklahoma, Wyoming, Iowa の 計27州に行きました。


フロリダ編 その1

フロリダは Frostproof という町にいました。DisneyWorldのあるOrlandoから 車で南に約2時間といったところでしょうか。湿地帯で沼も多く、道路(舗装されて いない)にRattle Snake(ガラガラヘビ)なんかがいて、尻尾を振りながら挨拶 してくれたりしました。自然の豊かなところで、カナディアンカヌーで川くだりを したり、釣りに行ったりしました。川くだりをしたところなんかは、近くをアリゲーターが 泳いでいたりしました。みんな平気で泳いだりしてました。結構臆病らしく、血さえだしてなければ、 逃げていきます。若気の至りで調子に乗ってアリゲーターの上に飛び 乗ったら、さすがに怒ったらしく追っかけられました。危なかったよう。

カヌーでは3人乗りのカナディアンに食料を積んで一人でこいでいたのですが、 途中に倒木にひっかかり、ひっくり返りそうになってしまいどうしようかと思ったの ですが、スーパーマンが来て助けて!くれなかったので、むりやり木を持ち上げて その下を通ってなんとか助かりました。一人乗りのカヤックならひっくり返っても いいんですけど、何せ食料船だったので冷や冷やでした。

町はオレンジ栽培で有名らしく、新鮮なオレンジジュースがいっぱい飲めました。 ある日ホストファミリー宅で冷凍庫にアイスがあるから食べていいよ〜と言われたので、 冷凍庫を開けて見ると・・・皮をはがされた蛇がとぐろをまいていました。 こっこれは!?「ああ食べるやつだよ〜♪」・・・まじっすか。結局その後 バーベキューで食べたのですが、結構油ぽかったですね。まだアリゲーターの 方が肉が硬いけど食べやすかったかも。



フロリダ編 その2学校編

フロリダの学校はアメリカでよくあるような中学、高校が一緒になっている学校です。生徒は たくさんいました。地域柄か白人、黒人、メキシカン、プエルトリカンなどの坩堝でした が、アジアンはホストファミリーの友達のところにステイしていた日本人1人と、フィリピン 系1人くらいしかいませんでした(会わなかった)。日本人が珍しいらしく、結構皆興味 津々でフランクに話し掛けてくれました。

取っていた授業は、American History, Gym, Math, English, Agriculture, Work(工作)の6つでした。ここでもやはり日本人は数学が得意であろう。そして 英語はそんなに得意ではないだろうが、英語を勉強しに“アメリカ”に来ている のだからとりあえずEnglishとAmerican History、後は適当にGymとAgriculture, workでもやらしとけとの学校側の配慮(?)ですかね。日本では理系の中学高校だった のでMath, Workは問題なし。English, Agricultureは先生方のおかげで何とか ついていけましたが、American Historyの先生は質問をしに行っても教えて もらえず(話してもらえず)、結構お年を召した方だったのでもしかすると日本人が 嫌いだったのかもしれません。で、しっかりと“F”を頂きました。Gymは得意でも 不得意でもなかったので問題はなかったのですが、アメフト部のコーチにスカウト されました。身長は176cmなので別に大きいわけではない(特にアメリカでは)の ですが、柔道とウェイトリフティングをやっていたため、ガタイがまあまあ良かった せいでしょう。結局参加はしなかったんですけどね。

友達は別に選んだわけではないのですが、学校から目をつけられているやつとか、 売人とかが多かったので学校でも問題視されていたようです(私は悪いことはしてない んですけどね)。後は変り種で現役の軍人で軍のキャンプから学校に通っているやつ。 彼とは格闘技の話で結構合い、柔道や空手を教えてあげるかわりに、軍隊格闘技や ナイフファイティングのやり方など教わりました。一回何かはまた別の黒人の友達に 「うちに来いよ」というのでついて行ったら、思いっきり黒人街で注目されてちょっと ビビリました。結局フロリダからコロラドに移る原因の1つに友好関係が悪いと勝手に 判断されたようです、もう1つは家庭の問題なのですがそれはナイショという事で。

面白話(?)の1つにメキシカンの娘と仲良くしていたのですが、その娘に気がある んだけど相手にしてもらえないメキシカンの男が「人の国の女に手を出してるんじゃ ねぇ!」と凄い剣幕で凄んで胸倉を掴んできました(テハダシテナイヨ・・・)。面倒だった ので軽く怪我をしないように投げて、関節を決めて「俺は空手と柔道のマスター(嘘)で、 これ以上暴れると腕を折るぞ」と言っている間に友達が集まって来て、その場は 収まりました。後から友達に聞いたところ彼は結構気性が荒くかなり喧嘩早いとの 事でしたが、友達が二度と手を出すんじゃないよと言ってくれていたようです。 ラテン系は結構そういうのがあるとは聞いてはいましたが、本当だったようです。

残念ながら家庭の事情で2箇月しか滞在出来ず、その後コロラド州に移る事に なり、暖かいところから寒い所へ。コロラド編をお楽しみに。



コロラド編 その1

7月、8月の暑い盛りをフロリダで過ごし、9月の半ばにコロラドへ。てっきりずっと フロリダにいるもんだと思ってたので、Tシャツの他にはトレーナー一枚とシャツ数枚。 さ、さぶい・・・。あわてて家から洋服を送ってもらいました。

私の住んでいた町はAultといい、Denverから車で北上する事約1時間半。町には 小中高等学校を併せたものが1校、消防署、アンティークショップ1店、万屋のような スーパーの小さいの(もちろん24h/dではない)が1店、郵便局しかなく、一番近い モールまで15kmくらいでした。Rockyからも離れていて一見平地なのですが、 標高は高いらしく、夏は摂氏30数度くらいになり、冬は一番寒かった時にマイナス 26度になったこともありました。ステップ気候のため、高い木々はそんなにありません が、かなりすごしやすかったです。

ホストファミリーは当時36歳の白人男性で、私がお世話になる前の前の年にドイツ人、 前の年に日本人を受け入れていました。また、コロラド北部の留学生受入組織の メンバーでもありました。私がコロラドに移った1箇月後にスペイン人も1人来ました。 別々の部屋だったので、ルームメイトとも違うけど、似たようなものですね。彼との お馬鹿な騒動はまたの機会に。ホストのRohnは独身だったので、ホストファーザー とは呼んでいませんでしたね。彼は学校の社会科の先生で、家から約85km離れた 学校に教えに行ってました。ただ家から学校まで信号は2個しかなく、ほとんど直線 に近かったです。私も彼の教えている学校に一緒に通っていました。通学時間は 約1時間でした(スペイン人のEmilioは地元の学校に行った)。

学校はKindergartenからSeniorまで合わせて120人くらいの小さな学校でした。 周りにな〜んにもなく、唯一あった(?)のが360度地平線!!通学途中も360度地平線 の中を走っていきました(もちろん車でね)。7th gradeからSeniorまでは顔と名前が 一致してましたね。小さな学校なのに派閥(?)もちゃんとあり、ちょっと笑っちゃいました。 人種差別的なものは皆無でしたが、96%白人でした。授業は私の英語のレベルが 低かったのと、単位を日本の高校でいかそうと思っていなかったので、7th grade English, Sophomore English(本来の学年), Word Processing, Computor Programing, keybording, math, geography, art を受講していました。日本の 高校は理系の付属高校で、PCは小学校の時からやっていたし、Rohnは社会の先生、 Sophomore English以外は結構成績良かったですね。



コロラド編 その2

皆さんは“コロラド州”というと何を想像しますか?Rocky Mountains? Ski? Denver (Capital of State)? コロラドは私の住んでいた町が田舎町だったせいもありますけど、 な〜んにもないところですね。

でもスキーをやる人には結構有名だと帰国後知りました。パウダースノウでまるで カナダのスキー場と同じようだけど、カナダより知名度が少ない分、すいていると。 私もコロラド滞在中は数回スキーに行きました。スキー場はとても広く、一番下の リフトでも待ち時間は15分くらいだったと思います。その時私はスキーをやったことは あるよっていう程度だったのですが、ホストのRohnの友人宅にステイしていた日本人 留学生の大学生の方がスキー1級を持っていて教えてあげるからと言われいきなり 一番上までつれていかれ、「じゃあ滑ってみようか♪」といい、滑って行ってしまい ました(ToT) アノスベッテミヨウカッ♪テ・・・(ToT) 周りを見ても誰もいない(ToT)  こうなったしゃああんめい、やってやらあと勇んで昔習ったプルークボーゲンで滑り だしました。人もほとんどいなかったため、転んで元々、色々試してみっかとやってる うちになんとか滑れるようになり、大学生に追いついたところ「大丈夫じゃん♪」・・・ ッテアンタ・・・。彼曰く「なんでも実地が一番。何とかなったでしょ」。まあいいか。 (ハッ・・・そういえば技術を教えてもらわなかった。惜しい事した。)

その後も何回かスキーに行ったのですが、普通のコースをはずれて林間コースに 行き調子よく滑っていたところ、そのコースもはずれてロープを超えて崖からおっこっ ちゃいました。このまま下に滑っていっても遭難するのは100%確実。スキー担いで なんとか登り無事下におりたところ、遭難救出活動準備中でした。どうしたんだと 聞かれありのままに話したところ、そういう時はスキーを捨ててコースに戻り助けを まつんだと言われましたが、余裕もあったしレンタルスキーを弁償すんのやだったん だもん。

DenverはさすがにCapital Cityだけあって都会でした。Denverの別名は"City of Thunder" とか"Mile-high-City"で、一見平地に見えるのですが標高1km以上ある らしく、雷が多いところしいのですが、Denverで雷を見たことは一度もありませんでし た。Denverの標高の高さを証明する逸話に、あるとき飛行機に爆弾がしかけられ、 一定の高さを超えると作動し、800m以下になると爆発するという声明があったので、 急遽デンバー空港に着陸し、事なきを得たというものがあるそうです。あとはデパート あり、大きい美術館や博物館などもあるのですが、割合緑の多い街でした。

Colorado SpringsというところにはAirforce Academy(空軍士官学校)があり、 割合民間人も見学出来ました(もちろん行けない場所もありますが)。Academy内に とても大きい教会があり、そこのステンドガラスは逸品でした。



コロラド編 その3

ホストのRohnが旅行好きなためちょっとした小旅行をしたのですが、アメリカ全体 から見ると小旅行なのですが、日本の感覚でいくと結構な旅行なのかな?

スタートはもちろん家(Colorado)からですが、Utah, Arizona, New Mexico, Texas, Oklahoma, Kansas そしてColoradoに戻ってきました。ちょうどColoradoの 周りを一周するような感じです(Nebraska, Wyomingにはその時には行きませんでし た)。Utah, Arizonaに行ったのは行ったのですが、これはちょっとしたズルなんです。 地名をどうしても思い出せないのですが、地図を見てみるとわかるのですが、アメリカ には4つの州が一点で交わる場所があるのです。そこに行くとたった4歩で4つの州を 旅できるのです。もう通った以下なんですね。そこからちょこっとNew Mexicoをちょっと 通りColoradoに戻り、またNew Mexicoに戻り、Texas, Oklahomaの端っこを抜け、 Kansasに入り、Coloradoに戻りました。まぁほとんどColoradoを走っていたのが 正解なんですけど。

小旅行を終えての率直な感想は、景色がほとんど変わんなかったなあと。ハイウェイ を走っていても、ほとんど夜中の高速道路状態。ガス欠したらかなり痛いものがある なぁと思いつつ、運転手のRohnが居眠り運転をするのを必死に起こしてました。 そうそう彼の悪い癖で、しょっちゅう居眠り運転をするんです。まぁ通勤(通学)の時 なんか120〜30キロで走っていて、道路を外れても対向車はほとんど皆無で、 2〜3キロ走っても何にもぶつからないようなところなんで無理もないんですが。 時効だと思うので書きますが、市街地はしませんでしたが、結構無免で運転して ました。なので左ハンドルの車に先に慣れてしまったので、日本に帰って きて免許をとりに行ったときちょっと運転しにくかった。

その他の機会にもよくColorado Springsに行ってました。私の住んでいた町の Aultは限りなくWyomingに近いところで、Colorado SpringsはOklahomaに 近いのでちょっとした旅行のような感じでした。

家の近くで行くのが楽しかったのは、Ft.Collinsの近くのGreelyという町(Aultから 15キロくらい)にあるモールでしたね。千葉の船橋ららぽーとのような感じで、色々な お店が入っていて食事処あり、ゲーセンあり、本屋あり、洋服屋あり、なんでも揃って いるので、行くとすべての用事がすませられます。何か特別買うものがなくても あっちこっちの店を覗いてまわりましたね。端から端まで見て回ると結構な時間 がかかるので、モールまで送ってもらい、3時間後に迎えにきてもらったり。その 後は私のリクエストでビュッフェ(食い放題!)へ。私はかなり食べるほうだった ので、食べ放題は大変ありがたかったです。何せ自分よりでかいアメリカ人3人と 一緒に食べに行って、みんながデザートを食べ終わっているのにずっと食べて ました(ちなみに胃に歯があると言われたくらいの早食いです)。どれくらい食べる かというと、日本で焼肉を食べるのに換算すると、肉3キロ、ご飯五合、冷麺大盛り、 生野菜バケツ一杯分位、牛乳1〜2リットルを一回の食事で一人で食べるくらい でした(もちろん毎日ではないですよ、そんなことしたら追い出されてしまいます。 食べ放題の時に食いだめ)。さすがに一緒に行ったアメリカ人もあきれて、そんな 小さな体のどこに入るんだ(ちなみに176cmはあるんですが)と言われました。

そんな感じだったので、家族みんなで集まる機会なんかの時(ThanksGivingとか) には重宝されました。何せ残ったのを皆飽きるまで食べなくてはならないのを、全部 処理しちゃうんですから。



続く・・・





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